2009年11月より、実家の兵庫県西宮市を自転車で出発。九州から沖縄に渡り、徳之島、奄美大島、屋久島へ。鹿児島に舞い戻って約1年を九州で過ごし、2011年7月にやっと北海道に上陸。ほぼ全道を走った後ニセコのスキー場で働きながら春を待ち、2012年8月に函館から青森へ。秋田、新潟、福島、岩手、宮城、茨城、そして千葉、東京へ。まだまだ旅は続くのだ。足跡&コメントはこちらから。フェイスブックはヨッシー松田で検索。ジャストギビングを通して、チャレンジボランティアも実施中 http://justgiving.jp/c/1386
ソネットブログはデータ量が1Gしか使えない。なので過去のブログを読みたい人は、いくつかのサイトを行き来して読んでもらわなアカンのですわ。スマンことです。
旅人 ヨッシー松田の日本自転車ぐるぐる旅 (2009年11月~2010年7月) http://tabibito1.blog88.fc2.com/
その1~ 旅人 ヨッシー松田の日本自転車ぐるぐる旅 (2010年7月~2011年8月) http://tabibito843.blog.so-net.ne.jp/
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日立~ひたちなか ネエネエ のち 嶋田さん [東北編]
2012年11月19日 月曜日 1106日目
となりは漁港やった。夜は静かで熟睡できたし、水もトイレもあるので助かった。
9時過ぎに出発。今日はひたちなか市の嶋田さんの家までの予定。
国道245で海沿いに走る。久慈川を渡ると東海村になり、そこには東海原発がある。20数年前に広瀬隆の本を読んで以来、原発反対派なのである。それは「戦争」と同じ構造で、一部の人や団体が大もうけできる仕組みになっているから。
原発前を通り過ぎると、ひたち海浜公園前にさしかかる。ここはまたしてもヨッシー思い出の場所なのだ。東京に住んでいるとき、毎年開催されるロックフェスティバルの手伝いに来てたことがある。そういう音楽イベント事にはあんまり興味はなかったんやけど、知り合いが勤めてる警備会社がコンサート警備を得意としてて、人が足りないときに駆り出されてた。主な業務は、「キャッチ」。
興奮して(あるいはわざと)ステージに向かって飛んでくる観客をキャッチして左右の出口から席に戻してあげること。体力がいるので、柔道やアメフト部の学生が多く動員されていた。ヨッシーはオッサンだったので、そういう学生を送り届けるマイクロバスの運転手をしたり、まとめ役をやったりしてた。コンサート中はヒマなので、巡回するふりしながらメジャーな歌手やバンドを生で聞いたりして。
他にも大塚愛とか長渕剛とか矢沢永吉とかエイベックス祭り?みたいなのでハマサキとか。なかなかオモシロい仕事やった。バイト料の振り込みが翌々月になること以外は。
教えられた道でJR勝田駅方面に右折してしばらく走ると、美容室兼喫茶のキャロットまえに着いた。沖縄の大屋さんがひたちなかで仕事してたころ、同じく沖縄出身のここの奥さんをネエネエと慕っていたそうである。
突然わけわからん人が自転車乗って現れたわけだが、ちゃんとお話も聞いてくれたし焼きそばもご馳走してくれた。たまたまパーマあてに来てたオバチャンとも盛り上がり、1時間ばかし滞在したあと、嶋田さんの家を目指す。出がけにお菓子とかみかんとかいっぱいもらった。
道は簡単で、まっすぐ走れば家についた。迎え出てくれた嶋田さんとは初対面。大屋さんから連絡はもらってたそうだけど、自転車で来ることは聞いてなかったみたいで目を白黒してなさる。
お家のガレージに赤い流星を格納し、その2階にあがるとそこは会社になってた。嶋田さんは機械設計の仕事を自営でされているのだ。聞けば奄美大島の出身だそうで、ヨッシーも島をほぼ自転車で一周した。そのとき見聞きしたことなどで話が盛り上がったわけだが、驚きの事実が判明した。
知ってる人は知っている、画家の田中一村(いっそん)。奄美に移り住みその独特の画風を確立して島の風景を絵に残し、島で没した。ヨッシーも奄美に行くまでは全く知らなかった人だけど、たまたま通りかかった一村の記念館に入ってみたのがご縁やった。
その一村が生きてた頃、嶋田さんの隣の家に住んでたというから驚いた。記念館で見学した情報に、貧乏だった一村は近所の魚屋さんの店頭でエビとかカラフルな魚とかを描かせてもらってた、とあったのは嶋田さんのおうちだったそうで。「描き始めると長時間になるので、結局その魚は売れ残ってしまった」そうである。
あるとき嶋田さんが空気銃で仕留めた鳥を、一村が見せてくれと言って持って行ったそうで、それが正にこの絵の鳥なのだそうで。
そして一村はその後引っ越して行ったが、嶋田さんの妹さんとはずっと親交があり、掛け軸とか絵を数点一村からもらっていたのだとか。奄美大島の一村記念館に貸し出し中のその絵に、ウン億の値が付いたこともあるとか。そう言う話でかなり盛り上がり、冷蔵庫からは次々と発泡酒が消えていく。
息子さんのヒロくんが仕事から帰ってきたので、一緒に温泉に連れて行ってもらった。のぞみの湯。風水の温泉?なんじゃろうか?
帰りに回転寿司でお持ち帰りして、また事務所で呑んでくって。楽しいひとときを過ごさせてもらった。母屋の座敷に布団を敷いてもらって就寝。明日は嶋田さんのお知り合いの農家にお手伝いに行くことになった。
走行 35キロ 出費 0円
となりは漁港やった。夜は静かで熟睡できたし、水もトイレもあるので助かった。
9時過ぎに出発。今日はひたちなか市の嶋田さんの家までの予定。
国道245で海沿いに走る。久慈川を渡ると東海村になり、そこには東海原発がある。20数年前に広瀬隆の本を読んで以来、原発反対派なのである。それは「戦争」と同じ構造で、一部の人や団体が大もうけできる仕組みになっているから。
原発前を通り過ぎると、ひたち海浜公園前にさしかかる。ここはまたしてもヨッシー思い出の場所なのだ。東京に住んでいるとき、毎年開催されるロックフェスティバルの手伝いに来てたことがある。そういう音楽イベント事にはあんまり興味はなかったんやけど、知り合いが勤めてる警備会社がコンサート警備を得意としてて、人が足りないときに駆り出されてた。主な業務は、「キャッチ」。
興奮して(あるいはわざと)ステージに向かって飛んでくる観客をキャッチして左右の出口から席に戻してあげること。体力がいるので、柔道やアメフト部の学生が多く動員されていた。ヨッシーはオッサンだったので、そういう学生を送り届けるマイクロバスの運転手をしたり、まとめ役をやったりしてた。コンサート中はヒマなので、巡回するふりしながらメジャーな歌手やバンドを生で聞いたりして。
他にも大塚愛とか長渕剛とか矢沢永吉とかエイベックス祭り?みたいなのでハマサキとか。なかなかオモシロい仕事やった。バイト料の振り込みが翌々月になること以外は。
教えられた道でJR勝田駅方面に右折してしばらく走ると、美容室兼喫茶のキャロットまえに着いた。沖縄の大屋さんがひたちなかで仕事してたころ、同じく沖縄出身のここの奥さんをネエネエと慕っていたそうである。
突然わけわからん人が自転車乗って現れたわけだが、ちゃんとお話も聞いてくれたし焼きそばもご馳走してくれた。たまたまパーマあてに来てたオバチャンとも盛り上がり、1時間ばかし滞在したあと、嶋田さんの家を目指す。出がけにお菓子とかみかんとかいっぱいもらった。
道は簡単で、まっすぐ走れば家についた。迎え出てくれた嶋田さんとは初対面。大屋さんから連絡はもらってたそうだけど、自転車で来ることは聞いてなかったみたいで目を白黒してなさる。
お家のガレージに赤い流星を格納し、その2階にあがるとそこは会社になってた。嶋田さんは機械設計の仕事を自営でされているのだ。聞けば奄美大島の出身だそうで、ヨッシーも島をほぼ自転車で一周した。そのとき見聞きしたことなどで話が盛り上がったわけだが、驚きの事実が判明した。
知ってる人は知っている、画家の田中一村(いっそん)。奄美に移り住みその独特の画風を確立して島の風景を絵に残し、島で没した。ヨッシーも奄美に行くまでは全く知らなかった人だけど、たまたま通りかかった一村の記念館に入ってみたのがご縁やった。
その一村が生きてた頃、嶋田さんの隣の家に住んでたというから驚いた。記念館で見学した情報に、貧乏だった一村は近所の魚屋さんの店頭でエビとかカラフルな魚とかを描かせてもらってた、とあったのは嶋田さんのおうちだったそうで。「描き始めると長時間になるので、結局その魚は売れ残ってしまった」そうである。
あるとき嶋田さんが空気銃で仕留めた鳥を、一村が見せてくれと言って持って行ったそうで、それが正にこの絵の鳥なのだそうで。
そして一村はその後引っ越して行ったが、嶋田さんの妹さんとはずっと親交があり、掛け軸とか絵を数点一村からもらっていたのだとか。奄美大島の一村記念館に貸し出し中のその絵に、ウン億の値が付いたこともあるとか。そう言う話でかなり盛り上がり、冷蔵庫からは次々と発泡酒が消えていく。
息子さんのヒロくんが仕事から帰ってきたので、一緒に温泉に連れて行ってもらった。のぞみの湯。風水の温泉?なんじゃろうか?
帰りに回転寿司でお持ち帰りして、また事務所で呑んでくって。楽しいひとときを過ごさせてもらった。母屋の座敷に布団を敷いてもらって就寝。明日は嶋田さんのお知り合いの農家にお手伝いに行くことになった。
走行 35キロ 出費 0円
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